top of page

“味覚”について考える ~エピソード編~

  • 執筆者の写真: 秋山 智美
    秋山 智美
  • 2023年6月17日
  • 読了時間: 5分

更新日:2023年10月28日

先日、とても素敵な料理を作る友人と保けん野菜についての話をしている中で、子どもの“味覚”についての思いを伺うという機会がありました。保けん野菜で行っている子どもやさい研究会にも通ずるものがあり、まだまだ解明されていないことが多い“味覚”ですが、これを機に改めて考えてみたいと思っています🤔


今回は“味覚”について考えてみるにあたり思い浮かんだ、いくつかのエピソードをご紹介させて下さい🙇🏻‍♀️

のらくら農場のレトルトスープ開発における「うま味」へのこだわり

のらくら農場代表の萩原さんから伺った、農場でのスープ開発についてのこんなエピソードがあります。

スープを開発するに当たって、市販の様々なスープ、中でも素材や味にこだわっているように見える商品を購入してきて、ブラインドでの味の調査を行ったのだけど、びっくりするほど後味が同じものが多かった。食品表示を見ると、酵母エキスや調味料(アミノ酸等)が共通して入っていて、うま味を出すために添加したものの味なのだろうなと思ったんだよね。 一方で加工会社の方からは『酵母エキスは食品添加物ではなく“食品”という扱いのため、「食品添加物不使用」という表示ができる』ということで、添加をすすめられた。これまでに、うま味を添加するための食品や食品添加物を入れずにスープを作ったことが無いということだったが、どんな野菜でも同じ味になってしまうのでは意味がない。野菜のうま味で美味しくなる、そんなスープになるように、野菜の栽培方法を試行錯誤して出来上がったスープなんだ。
野菜・牛乳・玄米・クリーム・塩で作ったスープ

他のスープと比べると、始めは少し薄味に感じられるスープかもしれませんが、他スープとは違ったうま味を感じられるスープ。その背景には、素材のうま味で美味しいと思えるものを完成させるんだ、という生産者の強いこだわりを感じるエピソードでした。

そしてそれは、「子どもがぱくぱく食べられる野菜」を作りたいという萩原さんが作るスープだからこそなのかもしれない、と思っています。



食べることを自分ごとにしていく甥っ子たち

現在4歳の双子の甥っ子がいるのですが、この二人が食べることを自分ごとにしていきながら、色々なものを食べられるようになっていく様子を、現在進行形で目の当たりにしています。もちろん私自身は毎日向き合っている訳ではなく、断片的な関わりの中でのエピソードではあるのですが、食べることに向き合っている二人の様子をご紹介させてください。


自分で育てた野菜

双子と言っても、性格、好み、体の大きさなどが全く異なる二人。一年ほど前、一人は野菜をあまり好んで食べず、口をつけずに残してしまうものも多くありました。味だけでなく口当たりにもとても敏感で、トマトの皮など口の中に残る感覚があるものが苦手なようでした。 そんな彼ですが去年の夏、おじいちゃんと一緒に庭で野菜を育て始め、キュウリ担当として毎日様子を見て水をあげることを任されました。保育園から帰ると真っ先に庭に走っていき、水をあげ、今のキュウリの様子を皆に伝えてくれるという生活をしばらく送っていました。 そしてキュウリができると、これまでの食卓での様子からは想像が出来なかったのですが、庭で丸ごと1本を食べきってしまいました。そしてまた別の日、トマトは特に苦手な野菜だったのですが、双子のもう一人が担当して育てたトマトを、庭でパクパク食べていました。

キュウリをかじりながらの「かっこいい」ポーズ選手権

食べたものと自分の体との関係

トマトを担当していた彼は小柄なせいか、筋肉マッチョへの憧れが特に強いのですが、それもあってタンパク質を食べる時には「筋肉マッチョになる食べ物だよ」と伝えることが多くなりました。すると、他の食べ物についても「これは何になるの?」とあらゆる食べものについて、それを食べることが自分の体にどんな影響があるのか?に興味を持つようになっていき、五大栄養素の表を持ち出して伝えないと説明が追い付かないほどになりました。 そんなやりとりが増えて以降、食事を残す量がみるみる減っていきました。


それぞれ、どこまで直接的に食事に影響を与えているのかは分かりませんし、他の色々な要素が重なっての変化だと思います。それでも、こういった自分ごとになる体験の積み重ねが、これからの二人の食べることを作っていくのだろうと感じる体験でした。



自分自身の味覚の変化

母親が食べ物にとても気を使ってくれていたこともあり、幼い頃から食品表示を見てから買うという癖がついていた私ですが、中高生になり部活などでコンビニに寄る機会が増えてくると「添加物や産地を気にしていたら、食べられるものが全然無い」という中で、徐々に見て見ぬふりをするようになっていきました。

そして会社員時代の私の食生活は本当にひどいもので、時には3食社内のコンビニということも…。その頃には、何の違和感も感じずに、何の表示も見ずにお弁当を買い、食べるようになっていました。

しかしコロナ禍で在宅勤務をしながら毎日自炊をする生活に変化し、さらに農場で働くようになり、しばらくコンビニのお弁当を食べる機会が無い期間がありました。そんな期間を経て、久しぶりにコンビニで購入したお弁当を食べた時に、何とも言えない口の中での気持ち悪さを感じたのを覚えています。今でもコンビニにお世話になることが稀にあるのですが、この感覚は未だに続いています。


過去から積み重ねてきたものも、慣れによっていくらでも崩れ兼ねないということ、崩れたものも立ち戻る場所があることで取り戻しやすいのではないかということを、実感した体験となりました。

今回は脈絡のない、“味覚”についてのエピソードをご紹介させていただきましたが、次回は“味覚”のメカニズムについて、お届けできればと考えています。

bottom of page