畑に入り込むと何十年も向き合うことになる、じゃがいもの病害虫とその歴史
雨の多い今年の9月。のらくら農場さんでは少ない晴れ間を見計らって、じゃがいもの収穫を順次行っています。
そんなじゃがいもをめぐって、最近、米国産の生のじゃがいもの輸入に関するニュースを目にされた方も多いのではないかと思います。現在、日米間で協議が続いているこの話題を、今回と次回の2回に分けて取り上げさせてください。 今回は、その前提として欠かせない、じゃがいもの産地を長年悩ませてきた病害虫とその歴史についてお伝えします。
🪱一度入り込むと、長きにわたり影響が続く「シストセンチュウ」
輸入の議論で最も警戒されている病害虫の一つが、「シストセンチュウ」という線虫の仲間です。線虫とは、土の中などに棲む、糸のように細長い小さな生き物で、日本で問題になっているのは、ジャガイモシストセンチュウと、その近縁のジャガイモシロシストセンチュウの2種類です。
※シストセンチュウは人や動物への害はなく、万が一付着していたじゃがいもを食べても、健康に影響はありません。問題になるのは、畑とじゃがいもへの影響です。
殻に守られた卵が、何年もじゃがいもを待ち続ける
シストセンチュウの雌は、じゃがいもの根に寄生して育ち、体内に200〜500個もの卵を抱えたまま死にます。死んだ雌の体は外側の皮が硬くなり、そのまま卵を包んで守る、直径1mmにも満たない茶色い粒になります。これが「シスト」です。
シストの中の卵は休眠状態のまま、土の中で15年以上も生き続けることができると言われています。また、じゃがいもなどの根から出る物質に反応するまで、簡単には孵化しません。じゃがいもを植えない年が続いても、土の中でじっと出番を待ち続け、再びじゃがいもが植えられると目を覚まして増えていきます。
収穫量の減少に加え、種いもを作れない畑に
孵化した幼虫はじゃがいもの根に寄生し、じゃがいもは養分や水分をうまく吸えなくなります。葉がしおれて枯れるなど生育が悪くなり、シストセンチュウの密度が高い畑では、収穫量が半分以下に落ち込むことも。
また、種いもを通じて別の畑や地域へ広げてしまう恐れがあるため、シストセンチュウが見つかった畑では、種いもを育てることができなくなります。食べるためのじゃがいもは、ジャガイモシストセンチュウの場合、この線虫に強い品種を選ぶなどの工夫をしながら作り続けることもできますが、シストは土の中で何年も生き続けるため、一度見つかると、その畑は簡単には元に戻りません。
気づかないうちに、運ばれて広がる
シストセンチュウ自身が土の中を移動できる距離は最大でも1mほどですが、風で飛ばされる土や雨水、そして土の付いた農機具や靴などを人が動かすことで、遠くまで運ばれていきます。
さらに、畑に入り込んでから作物に被害が目に見えて出るまでに5年以上かかることもあり、気づいた時にはすでに広がっている、ということが起こります。
土の中で何年も潜み、気づかないうちに広がり、一度入り込むと根絶がとても難しい。それがシストセンチュウの怖さです。
🗺️歴史に見る、じゃがいもと病害虫
日本では、病害虫を防ぐために、国がじゃがいもの種いもについて検査を法律で義務づけています。今のところ、これはほかの作物にはない制度で、それだけ、じゃがいもは病害虫への備えが欠かせない作物だと言えます。実際、じゃがいもには、病害虫が広がりやすい次のような性質があります。
土の中で育つ:収穫したいもに土が付きやすく、その土に潜む病害虫がいもと一緒に運ばれる
いもを植えて増やす:種いもに病害虫が付いていると、畑から畑へ、産地から産地へと広がる
土の中に長く残る病害虫がいる:シストセンチュウのように、一度入り込むと何年も畑に残り続ける
こうした性質から、シストセンチュウは人やじゃがいもの移動とともに世界へ広がり、各地で長い年月にわたって影響を与えてきました。ここからは、その歴史を国内外の事例とともにご紹介します。
世界に広がったきっかけ:アイルランドのジャガイモ飢饉(1845年〜)
シストセンチュウが世界に広がったきっかけは、19世紀のアイルランドにさかのぼります。
当時のアイルランドでは、人口の4割強が食のほとんどをじゃがいもに頼っており、さらにそのじゃがいもは「ランパー」と呼ばれる単一系統の品種ばかりだったと言われています。そこへ「疫病」というカビの仲間による病気が広がり、同じ性質を持つじゃがいもが一斉に被害を受けたことで、100万人以上が亡くなり、多くの人が国外へ移り住んだと伝えられる大飢饉となりました。
この飢饉のあと、ヨーロッパでは疫病に強い品種をつくるために、じゃがいもの原産地である南米からじゃがいもを取り寄せました。ところが、これをきっかけに、南米原産のジャガイモシストセンチュウがヨーロッパに入り込み、広がってしまいます。その後、1940年代には米国などで、1970年代には日本やニュージーランドなどでも見つかるようになり、今ではヨーロッパのほぼ全域をはじめ、世界各地で発生が確認されています。 病気に備えるための輸入が、皮肉にも別の病害虫を世界に広げる出発点になってしまいました。
米国アイダホ州(2006年〜)
米国自身も、シストセンチュウの被害を経験しています。
日本が米国産のじゃがいもをポテトチップ加工用に限って受け入れ始めたのは、2006年2月のことで、その同じ年に、米国の主要なじゃがいも産地であるアイダホ州のじゃがいも畑で、ジャガイモシロシストセンチュウが米国内で初めて見つかりました。
米国は、広がりを防ぐための緊急対策を行い、発生地域であるアイダホ州南東部のビンガム郡とボンネビル郡の中に封じ込めることには成功しています。2025年には、線虫が見つかった畑として初めて、1つの畑が規制から外れましたが、発見から約19年がかかりました。2025年9月末時点でも、約2,500ヘクタールが規制区域に指定されており、日本の輸入条件でも、この2つの郡は輸入できる地域から外されています。
日本:ジャガイモシストセンチュウ(1972年〜)
日本での歴史は、1972年に始まります。この年、北海道の後志(しりべし)地方でジャガイモシストセンチュウが初めて確認され、1977年にはオホーツク地方でも見つかりました。その後、2014年度末までに北海道内の52市町村、1万1,000ヘクタールを超える面積に広がり、道外でも長崎県、青森県、三重県、熊本県で発生が確認されています。
50年以上経った今も、発生面積の広がりは産地の大きな課題です。北海道では土の検査や輪作など、地道な対策が続けられており、その柱の一つが、この線虫に強い品種への切り替えです。でん粉の原料になるじゃがいもでは切り替えが完了した一方、食卓に並ぶ青果用や、ポテトチップなどの加工用では、切り替えが遅れています。食卓でおなじみの男爵薯やメークインも、この線虫に強い性質を持っていません。
そして、発生地域が広がったことで、種いもを育てられる畑の確保が難しくなり、一部の地域では、必要な種いもを地域の中でまかなえなくなっています。北海道は全国の種いもの供給基地でもあるため、その影響は北海道だけでなく、全国に及びます。
日本:ジャガイモシロシストセンチュウ(2015年〜)
2015年8月、北海道網走市の一部の畑で、ジャガイモシロシストセンチュウが日本で初めて確認されました。国の調査では、南米が起源で、欧州や米国などで発生しているものに近い系統とされていますが、どこからどのように日本に入ってきたのかは、分かっていません。
この線虫の厄介な点は、ジャガイモシストセンチュウに強い品種にも寄生してしまうことで、シロシストセンチュウにも強い品種は、ここ数年でようやく開発され始めたところです。
国は、根絶と他の地域への広がりを防ぐため、植物防疫法に基づく「緊急防除」という特別な対策を始めました。対象の区域に指定された畑では、原則としてなす科の植物を作付けすることが禁止され、土の付いたままの作物を区域の外へ持ち出すことも制限されています。これにより、じゃがいもだけでなく、トマトもなすもピーマンも育てられない畑が生まれました。
ジャガイモシロシストセンチュウが確認された畑は、当初、網走市と隣の大空町で682ヘクタールに及びました。地道な対策によって、2025年3月時点では25ヘクタールまで減りましたが、その後も新たな発生が見つかり、2026年6月時点では、網走市、清里町、小清水町、斜里町の一部で、81ヘクタールの畑で線虫が確認されています。最初の確認から10年以上が経った今も、この線虫との向き合いは続いています。
今回は、じゃがいもの病害虫の中でも特に警戒されているシストセンチュウと、その歴史をご紹介しました。次回は、米国産じゃがいもの輸入解禁をめぐる日米の協議について、その前提となる国際的なルールや、協議の全体像を整理してお伝えできればと思います。
※参考資料
